学校があると休みが欲しいけど長期休暇になると学校が始まってほしい

こんにちは。ジニだよ。

 
 
わたしは一月末に試験がすべて終わって春休みに入りました。もう一週間以上休みなのね。部活以外用事がないのね。そしたらだんだんこう思えてきます。
「学校があった方が楽しいんじゃないの」
たしかに学校があると長時間拘束されて講義を受けないといけない。実習はまだ楽しいけど、講義を受けるのはしんどい。講義がしばらくあったのちに試験があって、こりゃまたたまったもんじゃない。だけど、こういうちょっとした時間的拘束があったほうが生活にメリハリがあってわたしは好きです。
 
 
わたしは大学の授業が嫌いではなく、むしろいま臨床の勉強をしないと医者になれないので勉強へのモチベーションも高いと思います。だから講義をサボることはありません。たまに授業に遅れて出ると
「ジニなんで講義サボってんだよ。今度の試験の勉強でもしてたのかよ。真面目か。」
とか
「病気?お腹いたかったの?大丈夫?」
と授業に出ていなかったにも関わらずガリ勉と思われたり、とても体調を気遣われます。日頃の行いがよいからでしょう。わたしは大学の勉強がわりと好きだし、大学を辞めたいと思ったことはありません。
 
 
というわけで、わたしは社畜ならぬ勉畜なので大学がなくなるととたんに暇してしまいます。ほんとうはUSMLE(アメリカの医師国家試験)の勉強を計画を立ててやらなきゃいけないのに、あまりに拘束がなく自由だと全くやる気が起きません。やらなきゃいけないことから逃げて遊ぶときが、わたしの一番楽しい時間かもしれません。文章だって試験前、試合前で追い詰められて現実逃避のように書くもののほうが面白いです。これがヒトデさんのいう「闇の力」でしょう。
 
 
きょうは晴れている。どこかに行かなければわたしも車も動かなくなってしまうと思ってきたのは近所の図書館。マンガ陰陽師を読んでいたら猛烈にお腹が減って、
「そうだ、朝はインスタントラーメンで昼はなにも食べていなかった」
と思いだしました。そしてその近くのスーパーに来て鳥もつ煮とおにぎりとおーいお茶を買い、老朽化したスーパーの片隅でそれらを食べ、この文章を書いています。目の前に明治ブリックの自販機とUFOキャッチャーがあるけれど買うひとは皆無で、トイレにいく老若男女かわたしをチラッと見て通りすぎていきます。寂しげな画です。自販機もUFOキャッチャーもわたしもなんだか寂しげです。
 
 
スマホで文を打ってブログを投稿するのは初めてです。この文章はフミコフミオさんを意識して書かれました。ブツブツ発音しながら書かれました。フミコフミオさんのブログをこの春休みのうちにたくさん読みたいと思っています。
 
 
 
じゃあねっ
 
 
(この記事は老朽化したスーパーのトイレ前で27分で書かれた)(フミコフミオさん風)