医学生が簡単に承認欲求を満たす方法を考えた

おはようございます。ジニです。

小さい頃からうすうす気づいていましたが、最近頭の中ではっきり意識するようになったことがあります。それはわたしのなかの承認欲求です。友だちからすごいと言われたい、まわりのひとに認められたい。その一心でひたすら勉強してきました。某有名中高一貫校に入ってすごいと言われ、医学部に入ってすごいと言われ、医学部のなかでも試験は本試で通り続けて真面目なひとと思われています。TOEICを初めて受けて810点を取れたときも、ブログに書いたりや周りの人たちに言ったりしてすごいと言われていい気分でした。

わたしは勉強が得意で、その勉強に磨きをかけ「すごい」と言われ続けてきました。勉強が得意なひとたちのなかではそれほど飛び抜けて勉強ができるわけではありませんが、やはり自分が一番得意なものは勉強だと思っています。医学部に入ったのも勉強で周りのひとをぎゃふんと言わせたいという気持ちがあったからです。それくらいの野心がないと医学部に受かる成績にはならなかったと思います。

でもね、医学部にいるのはみんな勉強ができるひとなんですよ。みんな勉強したら医者になれるんですよ。その勉強はもちろん膨大な量だけど、それを要領よくこなす頭をみんな持ってるんですよ。

だから、医学部にて勉強で承認欲求を満たすのはかなり難しい。医学部に来てからうまく承認欲求を満たせたのって、免疫の試験とTOEICくらい。(免疫は得意。好き。)USMLE(アメリカの医師国家試験)を受けようと思ったのだって、いろんな理由はあるけれどやっぱりみんなに「すごい」って言われたいというのが大きいです。

でもさ、USMLEに受かったとしても、USMLEのStep1に受かった医学生、医師なんて全国に少人数ながら何人かはいるわけですよ。医学生、医師からしたらUSMLE(Step1だけでも)に受かるのはすごいって分かるし、実際すごいんだけどそのすごい人はほかにもいるわけです。

だから、わたしのこれからの人生で承認欲求を満たすのって難しいなと思いかけていました。

でも、ふと思いました。承認欲求というのは「他人に自分の存在を認められたい」っていうことです。自分がなにかすごいこと、実力のあることをなしとげたら他人はわたしの存在に気づいてすごいと思います。それは前々から分かっていたことです。

それだけじゃなくて、「ひとからありがとうと言われることをする」のでも承認欲求は満たされるんじゃないか。

まわりの人を見て、その人のためになにかしてあげる。その人が少し口角を上げて「ありがとう」とわたしに向かって言う。その瞬間、その人はわたしの存在に感謝してるんだよね。わたしの存在のことをありがたいと思ってるんだよね。これって、わたしの承認欲求が満たされたことになりませんか?

自分が何かを成し遂げて「すごい」と言われると気持ちいい。嬉しい。
自分が他人に感謝されて「ありがとう」と言われると気持ちいい。嬉しい。

「すごい」と「ありがとう」は違うようでいて、相手が自分の存在に気づいて認めてくれているという点で同じじゃないか。だから「ありがとう」と言われるのでも承認欲求は満たせているよね?

いままでわたしには、あんまり周りの人のために動こうという気持ちがありませんでした。いや、あったっちゃあったけど、そんなに積極的ではありませんでした。でも、承認欲求を満たすという理由があるともっと他人のために活動的になれそうです。理由としてはゲスですが、他人のために動くより、自分のためになることのほうが人間はやる気が出るものです。

ぼーっと突っ立ってるんじゃなくて、まわりを見て「ありがとう」と言われるようなことをする。

大人になって「すごい」と言われるのはなかなか大変です。これからの人生は「ありがとう」で承認欲求を満たしていく所存であります。






じゃあねっ