基礎ジニ学

医学部生

鶏胸肉で唐揚げを作るとおいしい


きょうは初めてひとりで唐揚げを作りました!!!


参考にしたレシピはこちら
nanapi.com


せっかく脂肪の少ない胸肉なのに、衣をつけてあげちゃったらダイエット効果がないじゃん、とは思いますが、上記のレシピがおいしそうで作ってみたかったのと、胸肉は安いのでこうしました。


このレシピで作ると胸肉なのにめちゃくちゃおいしいです。


ビールが欲しくなります。


が、明日も実習なのでやめておきます。


残念。

『ジニのパズル』同じ名前の主人公と"生きる違和感"をともにして

ジニのパズル

ジニのパズル


大学の図書館を何気なく歩いていると見つけたこの『ジニのパズル』。ジニはわたしと名前が同じだったので、なにか運命を感じたように手に取りました。


在日朝鮮人のジニは東京の朝鮮学校に入ったものの朝鮮語が分からず、周りとなかなか馴染めません。そんな中、いまの北朝鮮のことや金政権について、制服のチマチョゴリを着て色んなことに悩み、苦しみます。


彼女は今いる場所への違和感を感じ、しかし違和感を受け入れることができず、小さな、でも、とても大きな"革命"を起こします。


わたしはこの本を読んでいろんなことを感じましたが、それにはわたしの生い立ちの背景も影響しているので少し書きます。


わたしのルーツは朝鮮半島の南の方なので、自分が朝鮮学校に通う選択肢はなく、ずっと日本の学校に通って育ちました。


わたしは日本名ではなく日本語読みの韓国名で生活していますし、国籍も韓国のままだったので周りとの違いを感じてしまうこともありました。


時代のおかげか、わたしが国を理由にいじめられることは全くありませんでしたし、非難中傷を受けることもありませんでした。勉強ができれば、好きな道に進学できるという、幸せな環境で育ちました。ルーツなんて関係なく、勉強ができると尊敬される、優しい人達の揃った環境で生きることができました。


こんなふうに日本で、普段は国のことなんて何も気にせずみんなと一緒に過ごしていますが、ふとした瞬間に「わたしはみんなと違うんだよな」と思うことがありました。


だからといってなにか起こるわけではないのですが、小さな違和感があったのです。


この話の主人公のジニは、朝鮮学校という場所に通い、日本の学校と全く違う空間にいることで、その違和感がより強かったのだろうと思います。「わたしはどうしてここにいるんだろう」と。そして、その違和感に耐えられなかった。


わたしは「在日韓国人は出てけ!」と叫ぶヘイトスピーチを聞いた時、感情を無にするようにはしているものの、やはり心にチクッと小さなトゲが刺さります。


北朝鮮のミサイル発射や、彼女に起こった池袋での事件を受け、主人公ジニの心に刺さったトゲはこんな小さなものではなく、心を壊してしまうような大きいものだったのでしょう。


朝鮮半島にルーツがある人もない人も、心のどこかに違和感を感じる人達みんなに読んで欲しい作品です。

わたしが”ええかっこしい”を嫌いなのは自分が”ええかっこしい”だからかもしれない

皆さんは”ええかっこしい”という言葉をご存知だろうか。


これは大阪弁で「かっこつけたがるヒト、モノ、コト」のことである。


大阪人は皆、”ええかっこしい”が嫌いだと思うが、わたしも例に漏れず”ええかっこしい”が嫌いである。


昔から「あいつは”ええかっこしい”や。気に食わん。」とか「あのブランドは”ええかっこしい”やからあそこで服は変わん」とか思って”ええかっこしい”に対する憎しみを育み続けた気がするが、わたしはわかった気がする。


なぜ自分は”ええかっこしい”が嫌いなのか。


それは、


自分も”ええかっこしい”だからである。


自分も他人からカッコいいと、よく見られたいのである。大していい服を着ているわけではないけど、着ている服はおしゃれだと思われたい。8頭身でもなければ小顔でもなければ痩せているわけでもないけど、スタイルはいいと思われたい。食事制限してるわけじゃないし脂肪ものりにのってるけど、筋トレしててかっこいいと思われたい。


たいして良くもないのに、ジニちゃんはかっこいいと思われたい。良く思われたい。


でも、現実はなんにもかっこよくない。


だから、本当にかっこよく見える人を、本当にかっこつけれている人を”ええかっこしい”だと思い、憧れ、嫉妬し、憎むのである。


例えば、わたし個人の感情の域からは外れるが、


大阪人はだいたい京都を嫌いなもので、「京都は”ええかっこしい”や。嫌いや。」と思う人が多い。


わたしも大阪人としては京都にいい感情ばかりを抱いているわけではない。むしろ嫌いだ。


錦市場に行けば、京野菜というだけで大根の漬物が相場の何倍もの値段で売られているし、店の歴史が長いことを主張してくるのも嫌だ。寺が観光地化しているのも、「これこそが日本だ。This is THE Japaaaaaaan!!!!!」ヅラしているのも嫌いだ。大阪にも伝統ある高級料亭があるにもかかわらず、歴史ある寺や街並みや城があるのに、他県民から「大阪はグリコ、お好み焼き、たこ焼き、それが終われば夜は京都の日本料亭。泊まるのは京都の和風リノベーティッド長屋。え?大阪?料亭なんてあるの?」と思われるのも癪である。


ただ、この大阪人の京都に対する鬱屈した感情も、すべては自分たちも”ええかっこしい”だからである。


もっとよく見られたい。かっこよく思われたい。大阪も高貴で素敵だと思われたい。


それだけなのだ。


つまり、”ええかっこしい”を嫌う気持ちとは「嫉妬」なのである。


自分は、自分がかっこいいと思うものに対して、嫉妬しているのである。


そして、”ええかっこしい”と思うとき、自分が嫉妬しているものが「自分かっこいいやろ?」とこちらを向いて笑っている気がしているのだ。


なんだ、”ええかっこしい”と思う度に
「わたしはなんて偏見にとんだ嫌な人間なんだと、なんて屈折しているんだ、なんで素直にかっこいいと思うものを称賛できないんだ」
と思っていたが、これはただの嫉妬だったのである。


わたしもかっこよく見られたい。とってもマーベラスでファビュラスで素敵な女性だと思われたい。


でもそう見られようとしてふるまうとただのわたしが嫌いな”ええかっこしい”に成り下がってしまう。


自分は”ええかっこしい”が嫌いだけど、いまの自分はただの”ええかっこしい”だし、そんな自分を嫌だと思う。しかし、自分のことが嫌いでも、”ええかっこつけたい”という潜在意識はきっと生きているうちは消せないわけで、ただただ地を這って生きないといけないのである。


そんなことを考えた夜。