「泉鏡花が好き」と言える女子に憧れて、『夜叉ヶ池』を読みました
ある日、妹は云った。
「私、『泉鏡花が好き』って言ってみたい。太宰も漱石も、なんか違う。鏡花がいいねん。」
完全に同意だ。
私は云った。
「分かる。泉鏡花というとロマンチックで幻想的で匂い立つような知的さがあるイメージ。(一冊も読んだことがないが)『泉鏡花が好き』な乙女はロマンティックで幻想的で匂い立つような知的さを秘めている気がする」
それを聞いていた鏡花好きの母は云った。
「泉鏡花を好きといったところで、あんたらの周りに読んでる人はおらんから、話が合うのは私だけやで。でも、ジニは安部公房の短編集が好きやったから、きっと鏡花も好きになると思う」
なるほど。確かに、安部公房は結構読んだし、わりと好きだ。(『砂の女』は読んでて口の中がジャリジャリしたので、もう二度と読みたくない)
好きな作家さんを聞かれて、「実は・・・、泉鏡花が好きやねん」と云ってみたい。というわけで今日、鏡花の『夜叉ヶ池』を読みました。
『夜叉ヶ池』
学者の学円が、旅の途中で越前の夜叉ヶ池に立ち寄る。そこにいたのは東京を出たきり行方不明になっていた親友の晃と美女の百合。そこには明六つ、暮六つ、丑満と一昼夜に三度鳴らすように定められた鐘があった。
夜叉ヶ池に住む竜神が動くと、村が水に沈むので、昔々、人は竜神が動かないよう誓いを交わした。その誓いを竜神が忘れないように、一日三回決まった時間に鐘をならし続けている。
盛夏、日照りが村を襲う。
雨乞いのため、竜神に百合を差しだそうとする村人たち。晃と百合の恋。彼らを守ろうとする学円。夜叉ヶ池の竜神と呼ばれる姫、白雪と白山剣ヶ峰の千蛇ヶ池に住まう若君との激しい恋。
最後は、そう終わるのか・・・という感じ。これはこれで、みんなが幸せになれるなあ。実に幻想的。
ファンタジーではない。読んでいると視界がぼんやり霧に包まれたような・・・。
愛、この世ならざるもの、越前の山奥という「人知を越えたなにが起こってもおかしくない感じ」
さっきからアホみたいに幻想的とロマンティックを繰り返しているが、これ以外にこの作品を表す言葉が思いつかない。常用国語便覧を開いた。
泉鏡花(1873-1939)石川県生まれ
『外科室』をはじめ、主題を明白に示す「観念小説」で注目されたが、後、過酷な男女の運命や怪奇的なテーマを、浪漫的情調や華麗な修辞技法などによって表現し、独自の美的世界を構築した。
そうか。「怪奇的」いいなあ。確かに怪奇的。ボキャブラリーのなさに驚く。
泉鏡花は金沢育ちというのも、いま福井に住んでいる私からしたら親近感を覚える。あと、夜叉ヶ池は福井県に実在する池で、福井大学医学部から車で約3時間かかるそうだ。金沢で1時間、名古屋で2時間。3時間だったら、大阪市内に行くのとたいして変わらないじゃないか。今庄のあたりは険しい山が連なるが、その険しさを思い知った。
「泉鏡花といえば・・・手術室だったっけ」
と私が云うと、母は
「違う。外科室。手術室じゃないところが昔っぽいやろう?もう本当に素敵な話。」
とここから先、外科室について語り、長くなるので省略します。
外科室を読もうと思って、図書館で本を借りてきました。が、先日、北陸道を通ることがありまして。今庄ICのあたりで看板に「夜叉ヶ池」と書いているのが見えたので、夜叉ヶ池を先に読みました。google play booksから無料でダウンロード。便利な時代です。(青空文庫なので無料です)
これで一歩だけ「泉鏡花が好き」な女子に近づいたでしょうか。ファンからしたら小さな一歩でも、私には大きな一歩です。
ちなみに、夜叉ヶ池は43ページの超短編ではありますが、言葉が分からなくて電子辞書を引きまくったので、読むのに苦労しました。あと、今ポメラで文章を打ってるんですが、「安部公房」も「泉鏡花」も一発で変換されなくてビックリポンでした。
「痛みますか。」
「いいえ、あなただから、あなただから。」