時報
田んぼに囲まれて暮らしていると、時報をよく耳にする。正午と夕方5時のおしゃれメロディー。そのほかにも朝6時の椰子の実と夜9時のカラスなぜ鳴くの~。家の真ん前にあるスピーカーからは正午と夕方5時のみ音がしているが、遠くの小学校からも違う時間に少しだけ聞こえる。遠くからの音が重なり合って、不協和音。不協和音だからというわけじゃなく、この時報が好きじゃない。
今の春休みのように、長期休暇だとお昼寝してゴロゴロとベッドの上で過ごすことがある。11時半にお昼を食べ、正午のおしゃれメロディーとともにベッドイン。夕方5時の時報で目が覚めて
「はっ、もう5時」
試験前にせっぱ詰まって勉強していて、はい時報。
「はっ、もう5時」
夕べ飲み会をして、正午の時報で目が覚める。
「はっ、もう12時」
時報がなっていい思いをしたことがない。田畑で働かれている人々に時間を知らせる目的だろうが、怠惰な学生にまで届かなくてもいい。時間を大きな音で知らされると、ダラダラを叱られている気がする。私の育った大阪では時報はなかった。住宅街なので時報なんてあったら苦情殺到。時報消滅。初めて福井に来て時報というものを知った。
最初、お昼のメロディーは「ふるさと」だった。うさぎ追いし、かの山。私は早寝早起きだったので、12時まで起きたら夜更かしで、朝は9時までに必ず起きていた。1年生入りたての新入生合宿で一晩中起きて遊んでいたことがある。帰ってきて次の日、正午の時報で目が覚めた。ふるさとが流れて「はっ、もう12時」これが初めての時報に叱られる体験だった。
福井はいいところだ。田んぼがたくさん。自然がのどか。だが、時報。これだけは本当に、自分の存在を責められている気分になるのでやめて欲しい。否、農家の皆様のために、学生にだけ聞こえないようにする装置はできないだろうか。時報の周波数と逆の周波数の音を発し、時報を打ち消す。それを学生が住むマンション街の四隅に置いて欲しい。時報に対する結界だ。
「早く起きなさい」「勉強しなさい」なんて叱ってくれる母はいない。この時報が母代わりということか。この鬱陶しさ、責め立てる感じ。だが、時報がないと、誰からも責められずひたすら怠惰に堕落してしまう。時報は実はありがたい奴だとも感じている。
時報は無くなってほしい、でもサンキュー。
追記:夕方5時のメロディーは「夕焼けこやけ」でした。ところで、「こやけ」ってなんでしょうか。