ブログを書くことで、心の中のモヤモヤがスッキリ晴れて浄化されませんか?
(昨日行った富士急ハイランドにて)
自分の悩みやコンプレックスを文章にして、それをブログなどで外に出したら、その悩み事がどうでもよくなることはありませんか?
私は、あります。というか、その心の突っかかりが取れて清々する感じがたまらなく好きで、noteとブログを書いています。もっとたくさん読んでほしい!もっとスターやはてブが欲しい!という承認欲求もありますが、どちらかというと、このストレス発散がブログを書く理由です。
イケダハヤトさんは、「ブログを書くことで心が浄化される」とおっしゃっていましたが、この感じはなんとなく分かるような気がします。私が感じている「浄化」とイケハヤさんの「浄化」が同じものかは分かりませんが。
ポイントは外に出すことです。自分にしか見れない形で日記を残すのではなく、誰かに読んでもらって共感されることに意味があるんです。なぜなら、自分にしか見れない形だったら、その気持ちは自分の内に留まったままだからです。私の場合、「この気持ちを誰かに読んでもらう」ことで頭が浄化されます。
私は、物心がついたときからネットを使える環境で育ちました。小学生のときには自分の中のモヤモヤを吐き出せる相手が欲しいと思って、チャットをやっていました。(しかし、女の子とプロフィールに書いてあるのに、中身は男の人だと思われる人がいたので、気持ち悪くなって止めました)
中学生のときに初めてブログを始めました。269gというブログサービスだったのを覚えています。このとき2008~2009年くらいで、ちょうど、ブログ黎明期でした。いろいろ書いていてそれはそれでスッキリしていたのですが、ブログが親にバレました。フェイスブックもないような時代ですから、今よりネットへの警戒心は強かったように思います。ネットに中学生女子が個人的なことを書かないほうがいいと母に説得され、止めました。
高校生は勉強と部活に必死で、特に文章を書くことはなく大学生になります。
大学生になって、生まれ育った大阪から福井に来ることで価値観がどんどん変わっていくのに気づきました。一人暮らしだからしゃべり相手がいないのと、周りが田んぼに囲まれていて静かで広々としているからか、自分の考えを育てるのに最適な環境です。大阪で高校生をしていた頃は、モヤモヤがあってもスルーしてきたのに、大学生になってから、普通に生きているだけで、心に突っかかりが生まれていきます。モヤモヤがだんだん泥のように心に澱となって溜まっていきます。
それを吐き出せる場所がこのブログとnoteです。ほら、私のブログのプロフィールに「心の澱を吐き出します」と書いてありますよね?最初からストレス発散のためにブログを書いています。
今日も、朝に産婦人科に行かなくちゃいけなくなりまして。この出来事を心にとどめたままだったらずっと、このことを引きずっていたと思います。ですが、書いて吐き出したことで、だいぶ心が楽になりました。こちらの記事です。100円の有料マガジン内に入れました。
note.mu
嫌なこと、腹が立つこと、気持ち悪かったこと、悩み事。そういった、体に残った嫌な感情は、書いて自分の中から出す。加えて、他人に読まれることで、その嫌な思いが実にちっぽけに感じる。この、さっきまで感じていた嫌な気分がさっぱり抜けて気持ちよくなる快感。スポーツ的な楽しさがあります。
生きている限り、心に澱がたまり続けるはずなので、なんとかブログで発散しつづけようと思っています。更新がなくなったらなくなったで、ブログが必要ない状態になったということで、それはそれで健康的でしょう。
では、おやすみなさい。
(戦慄迷宮、めちゃくちゃ怖かったのでもう二度と行きたくないです。お化けの人が来たら即ダッシュしました)