「お疲れ~」という挨拶
みなさま、学校や職場でクラスメートもしくは同僚とすれ違うとき、何と声をかけていますか?私の大学では朝は「おはよう~」、その他の時間は「お疲れ~」が主流です。大学生以上ではおはようとお疲れがメインではないでしょうか。
けれども、この「お疲れ~」が便利でいて曲者のような感じがしてなりません。同じ学年で、よくしゃべるわけじゃないけどお互いのことを一応知っている。この関係の人と大学内の廊下ですれ違うとき、互いに目を逸らすのは寂しいけれど、言葉なしでニコッと見つめあうのも気が引ける。このようなことはないでしょうか。大学生に限らず社会人、中高生、どの立場の人でも、同じシチュエーションでは何かアクションをとろうとすると思います。
このときに一言「お疲れ~」。これがとても便利でございます。特に疲れていなくても口角を上げて「お疲れ~♪」というだけで、相手も「お疲れ~♪」と口角を上げて返してくれるので、廊下すれ違いコミュニケーションがうまくいった感があります。
ただ、この「お疲れ~」。使うようになったのは大学生になってからです。大学では周りの人が頻繁に使っていて、私もその流れに乗って「お疲れ~」と言うようになりました。中学高校で廊下すれ違いコミュニケーションをとるとき何と声をかけていたかさっぱり覚えていません。仲のいい人には「よっ」、そうでも無い人は目を逸らしていたような気がします。たぶん、そもそも廊下すれ違いコミュニケーションをとろうとしていなかったので覚えていないのでしょう。なんとなく気まずさを感じながら廊下でクラスメートとすれ違っていたように思います。
医学部なので1学年に110人程度しかおらず、実習等でかなりの人と知り合うので、同じ学年の人の顔と名前は覚えています。だから、そんなにしゃべるわけじゃないけど、お互いしゃべるときはしゃべるという関係の人がたくさんいます。そんな人には特に「お疲れ~」が使えます。もちろん仲のいい人にも使います。
「お疲れ~」の妙は「仲がいいわけじゃないけど知り合い」という人に使えることです。廊下すれ違いコミュニケーションではこのゾーンの人たちと気まずくなると思いますが、「お疲れ~」だけで場の空気が一気になごみます。そう、先生や先輩など敬意を払うべき人物で、「声をかけるべき言葉」が決まっている人には挨拶の「お疲れ~」は必要ないのです。朝なら「おはようございます」昼なら「こんにちは」夜なら「こんばんは」。授業や仕事の休み時間なら本当の意味での「お疲れ様です」でいいのです。すでに挨拶の言葉が決まっているので問題ないのです。
私は廊下すれ違いコミュニケーションとして「お疲れ~」を使っていますが、違和感満載のときもあります。ここが問題なのです。それは、例えば昼から講義があったとき、授業前にトイレと教室の間の廊下で「仲いいわけじゃないけど同学年」の人とすれ違うとします。そのときもお互い
「お疲れ~」
ちょっと口角を上げてこう言いながら、心の中で「いや、なんにも疲れてねーよ」と毒づきます。お昼から授業で、午前中はの~~~~~んびりベッドでごろごろしていて、大学に来てすぐだからなんにも疲れることしてないよ。
でも、お昼だからといって「こんにちは」は堅苦しい気がする。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」の三大挨拶のうち、「おはよう」以外は友達同士で使いません。「こんにちは」と「こんばんは」は敬意がこもりすぎている気がします。しかしテレビ業界でもないので、朝以外の時間に「おはよう」は変です。「よっす」も仲のいい人にしか使えない。そうして、手札には「お疲れ~」しか残されていない状況。何か作業をしたあとの「お疲れ~」は素直に言えるけれど、例に挙げたような何にもしていないときの「お疲れ~」はむずむずします。むずむずむず。
ここで拘りなく「お疲れ~」と言えたらどれだけ楽な人生だったでしょう。疲れるはずのない状況で「お疲れ~」と言わざるを得ないときの私の目は、笑っていないと思います。そのときは、あなたのことを良く思っていないからではなく、「お疲れ~」に代わるいい挨拶を考えているだけです。思案しているだけです。
どなたか、「お疲れ~」に代わる、便利で人との距離を縮められて言いやすい挨拶を考えていただけないでしょうか。私は違和感を感じつつも「お疲れ~」に甘えて創造的な挨拶を作り出せずに終わってしまいました。もしタイムマシーンがあったなら、「仲いいわけじゃないけど知り合い」の人たちと、どう廊下すれ違いコミュニケーションを取ればいいのか路頭に迷っていた高校生までの私に届けてあげたいです。